vol.11 「ウッドザビエル的文明論 02」--- 森林的発想からみた、健康ブームの不健康。
昨今の健康ブームには少々拙者も食傷ぎみでござる。
(ちょっと、背筋を伸ばして、ラストサムライの気持ち)
健康のためなら死んでもいい、などという冗談が洒落にならない。
日本人はなにか大きな勘違いをしてはいないだろうか?
本当に大事なことは大自然の中に答えがある、というのが私の考えだが・・・。

そこで今回は、人間のからだと大自然を比較しながら、
健康の問題について考えてみたりして。

人間の体を流れる血液は、大自然で言えば水に相当する。(ふむふむ)

人間の体温が一定に保たれるのは血液のおかげである。
地球の気候が安定しているのは水のおかげ。
水のない天体では、昼と夜の気温差がはなはだしく、
灼熱と極寒を1日で経験することになる。

血液循環の中心は心臓だが、大自然で言えば「太陽」がそれにあたる。
太陽の熱と光が水分を蒸発させ、それが大地に降り注ぐ。

そこで大きな役割を果たすのが「森林」(ついに出た!)。

森林は、水分を蓄え、それに栄養分を加え、
大地の隅々まで行き渡らせる中心的な働きを持つ。

いうなれば、森林は「五臓六腑」。

森に降り注いだ水分は、地中にしみこみ、地下水脈となり、
また川となり栄養分を含んで隅々にまで届けられる。
水のないところは「壊死」状態といってもいいでしょう。

森が力を失った大自然は、不健康な人間と同じといえませんか?

健康ブームで一番間違っていると思うのは、
物事の判断の仕方が部分的なこと。
これはまさしく、西洋的な発想です。

西洋的発想とは、唯物主義的、科学的な発想。分析の発想。
これは、物事を細かく細かく分けていって考える手法で、
西洋式病院の専門医の多いことを見れば明らかです。

この西洋的な発想が、ついには遺伝子の世界まで解明しようとするわけです。
その西洋的精神が産業革命を生み、現代の世界を形成するのに重要な役割を果たしたことはいうまでもありません。
ただし、その限界もまた現れてきました。

東洋の発想は包括的、全体的、精神的で、分かりにくいといえば分かりにくい。
気孔とか、つぼとかチャクラだとか、人間というものの健康を全体のバランスで捉えようとする。
非常に曖昧で、いわゆる「非科学的」。病は気から。
でも、その非科学が、意外に馬鹿にできないこともわかってきました。

より早く、より正確に、より効率的に、という合理化精神によって、
人類は大いなる利便性を手に入れましたが、副産物として、大規模な自然破壊と、
病人だらけの人類をも生み出しました。

誰もが自分を不健康だと思っています。
それゆえにテレビが垂れ流す「健康情報」に聞き耳をたてる。
健康情報は視聴率を稼げる。
テレビと企業が結託して陰謀をめぐらしているのではないかと思うほど
タイムリーに商品が出始める。カテキンだの、アミノ酸だの・・・。
コンビニに行けばものすごい種類のサプリメントが置いてあって、まるで宇宙食のよう。

仮に健康情報のすべてをこなすことができたとして、本当に健康になれるでしょうか?
はなはだ疑問です。
もっと、本質的に大事なことを見失っていないでしょうか?

森は、それを教えてくれると思うのです。

森の機能を分析して、その一つ一つを科学的に補うことは可能かもしれません。
たとえば、天然のダムの機能は、コンクリートのダムで。
酸素が不足すれば大規模な酸素供給装置を、また、炭酸ガス分解装置や、
腐葉土製造システム、水濾過装置なんかもできるでしょう。

でもそれで、本質的な解決になるでしょうか?

対症療法には副作用がつき物です。
あちらを立てればこちらが立たず。
結局は、1本の苗木を植えることからしか始まらないのです。

サプリメントをいっぱい並べるよりも、愛情のこもった一皿のスープのほうが
人を健康にすると思うのですがどうでしょう。

何事も自然であることが大事です。


さて、またまた硬い話になってまいりました。
うちのかみさん曰く。
「ほとんどの人が途中で読むのやめると思うよ」
「やっぱり」って感じ。

そんな中で、ここまで辛抱強く読んでいただいて、感謝。