タイルにしようか、樹脂製のウッドデッキにしようか、本物の木のデッキにしようか迷っています。「本物の木」のメリットって、どんなところがあるんでしょうか?
POINT1:木は熱くなりすぎず、冷たくなりすぎず
→木は「熱伝導度」が小さいため、夏に足の裏が焼けそうなほど熱くなることや、
冬、凍えるように冷たくなることはありません。

POINT2:木は目にやさしい
→木の表面は木目があり平らではないため、光を乱反射させやさしい光に変えます。

POINT3:木は軽くて強い
→重量当たりの強度では、鉄の4倍、コンクリートの5倍です。


店長くり坊コラムより
vol.13  木の上に寝転ぼう!



ご無沙汰です。
3月くらいから一気に忙しくなって、バタバタしている間にもう夏です。



あわただしい日々に中で、お客様からいただく完成報告は、なによりの
喜びです。その中で、印象的なのは、子どもさんがデッキの上に座り込
んでいる写真、あるいは寝そべっている写真です。



きっと、タイルじゃこうはいかないね、なんて、ちょっと満足なわけで
すが、どうして木なら寝そべるのに、タイルではダメなのか・・・。
不思議じゃありませんか?



まずは、「ぬくもり」。



木のぬくもり、なんていいますが、実際には別にあったかいわけじゃな
いんです。



あなたの身の回りにあるものを手当たり次第に触ってみてください。
冷たいと感じるか、温かいと感じるか、手のひらに意識を集中して・・・。

紙・・・冷たくない

ガラス・・・少し冷たい

鉄・・・冷たい

木・・・冷たくない



とか、感じると思います。



熱は、高いところから低いところへ移動しようとしますが、熱の移動し
やすさを「熱伝導率」といいます。



今は夏なので、体温を36度とすると、気温との差があまりありません。
ですから比較的熱いとか冷たいとか感じにくいのですが、体温との温度
差があれば感じ方はもっとはっきりしてきます。



触ったとき、熱をいっぱい取られれば「冷たい」と感じ、いっぱいもら
うと「熱い」と感じます。



木のぬくもり、というのは、自分の体温のぬくもりなのです。
体温が取られないから木は温かくやさしいのでした。



特に「杉」、「ヒノキ」などの針葉樹は、空気層がいっぱいなので、肌
触りも柔らかく温かいんですね。



ログハウスというものがありますよね。
あれは寒い国の産物ですが、木そのものの「断熱効果」を生かした家で
す。グラスウールとかいった人工の断熱材ではなく、天然の断熱材で囲
まれた家なんです。



なるほど、木はすばらしいですね。



木のすばらしさはそれだけじゃありません。
目にも優しいんです。



木の表面は平らではありません。木の繊維にそって細かな凹凸がいっぱ
いあります。



太陽の光が木にぶつかると、紫外線をほとんど反射しません。木が吸収
してしまうからです。



また、反射率も、もっとも目に優しいとされる50パーセント程度。
木が反射した光は、やさしくマイルド。お子様の目にも安心です。



木の上に寝転ぶのと、ビニールの上に寝転ぶのはどこが違うか?



どっちに寝転びたいですか?



聞くまでもありませんが、でもどうして?



そうなんです。
木は汗を吸い取ってくれるんです。



サウナの椅子の床も全部、「木」ですよね。汗をいっぱいかいても不快
になりにくいんです。
気持ちいい、わけです。



目には見えにくいんですが、一日中呼吸をしてます。
水分を吸ったり吐いたり。常に適度な湿度に保とうとする働きがあるの
で、木の家は快適なんですね。



なぜ、ウッドデッキが気持ちいいのかご理解いただけたでしょうか?
木はこんなふうに日夜頑張っているわけです。
ちょっとくらい割れたり、反ったりしても大目にみてくださいね。



さて、話を戻します。
木の快適なのはご理解いただけた、としましょう。



さらに、木の大きな特徴はその強度です。



同じ重量であれば、鉄の4倍、コンクリートの5倍強いのが「木」です。
材積でなくて、重量ですよ。



木の板で本棚なんてつくりますよね。
でも、同じ強度の棚を鉄板で作ったら、4倍も重くなるんです。
棚に置いてあるものより、棚そのもののほうが重かったりして・・・。



軽い木だからこそ、簡単にデッキができるのです。
鉄や石ではそう簡単にデッキは作れませんよ。まず、切ることもできま
せん。



世の中に「木」があって本当によかったですね。
木がなかったら大変です。



あーよかった。木のある星に生まれて。
感謝しないとバチがあたりますね。



■余談

木材業界で生きてきた私は、とりあえず何でも「木」で作ろうとします。
本棚なんかは当たり前ですが、看板や踏み台、側溝の蓋などなど・・・
私はそれが普通だと思っていたのですが、うちの奥様の父上は違いま
した。なんでも「鉄」で作ろうとするんです。
犬小屋をあらわす看板も、鉄を「犬」の形に切り抜いたもの。
家の前の側溝の蓋はもちろん鉄板にペンキ仕上げ。踏み台や物干し竿の
受けも自作の鉄製です。
お父上は、尾道の造船業界を支えてきた「職人」の一人。
釘を打つより溶接のほうが簡単だったのでしょう。
今はリタイヤして畑仕事に精をだしてます。

それでは、また。


店長くり坊コラムより
vol.19  木の家はどこに行った?の巻




マンション住まいは長生きできない!
なんて恐ろしいデータがある。



木の箱と、コンクリートの箱と鉄の箱に入れたマウスの様子や
生存率を調べるという静岡大学の実験である。
木質住宅のハウスメーカーのパンフレットにはかなりの確率で引用されている
実験なので知っている方も多いと思うが、その結果は
23日後のマウスの生存率は、木の箱が85%であるのに対し、
コンクリートの箱はなんと7%。
これは恐るべき数字である。
さらに、コンクリートの箱で育ったマウスは子育てもろくにしない!
この数字と現象をもって、マンションよりも「木の家」がいい、
という結論に持っていくのが通常だ。



確かに木の家がいいのは分かる。ただ、ここで考えてみたい。
木造住宅って、本当に「木の家」なの?
確かに柱や梁は木でできているかもしれないが、
実際に手に触れる部分はどうだろう?
実はかなり怪しい。



箱を構成するものはなにかというと、「床」「壁」「天井」である。
木造住宅の「床」「壁」「天井」は本当に「木」だろうか?
ちょいと廻りを見回して見て欲しい。
残念ながら多くの住宅が「木」ではない。
かろうじて床だけが「木」のようだが、それもカチカチにウレタンなどの樹脂で
コーティングされて、直接「木」に触れることはできない。
天井や壁は、いわゆるビニールクロス。
その下は石膏ボード。
和室の天井は流石に「木」だろうなんて思ったら大間違いだ。
ほぼ90%以上の確率で「紙」張りである。



ええー、そんなー、と思い、ドアを見てみると、これまた「シート貼」
そう考えると、実は木造住宅だからといって「木の箱」とは言いがたいことが分かる。



それでは、マンションは?
というと、やっぱり壁と天井はクロスで、床は「木」のケースが多い。
ということは、実際に人間が触れている部分というのは、
木造住宅もマンションも大差がないということだ。



大事なのは、「箱」ではなく、実際に「触れる」部分。
すなわち内装なのだと思う。



「劇的 ビフォア アフター」という番組がある。
作為的に「劇的」にしている感じが今ひとつ好きになれないのだが、
しばしば、杉の足場板を床材として利用するケースを見かける。
杉の足場板といえばわが社の「本業」であるが、
もちろん、足場板をそのまま使っているわけではない。

足場板に使用するような材料を乾燥させ、
「実加工」「表面仕上げ」を行ってから床として使用しているのだろう。
しかもいわゆる「塗装」をしていないようだ。
確かに足には優しいに違いない。
湿気も吸収してくれるし、目にも優しい。



そんなにいいものなら、
みんな「足場板フローリング」にすればいいわけだがそうはならない。



木には欠点があるからだ。



テレビに映るアフターの状態は確かにすばらしい。
が、決していつまでもそのままではない。



予想される問題点としては
・塗装をしていないので汚れが染み込みやすく、落ちにくい。結果汚くなる。
・反りが発生して床が平らでなくなる。
・板の合わせ目がすいてきて隙間にゴミが溜まりやすくなる
・表面が柔らかいので傷がつきやすい
などなど。



なんだー、そんなのいやだな。
と、ほとんどの人が思うはず。
確かに私もできれば避けたい。



実は上記の問題というのは昔の日本住宅にはほぼ例外なくあった問題なのである。
そして住む人の望む方向に家を作っていったら
今のようにシート張りの家になってしまったわけだ。



悲しいかな。



最近多い異常な事件の数々。
古きよき日本の美徳は、「木」がシートに変わるにしたがって
失われてたきたような気がしませんか?(ちょっと強引?)



スローライフとか、ロハスとか、
それでも時代は少しずつ変わり始めているような気もする。
利便性一辺倒の価値観から、不便であることをあえて受け入れることで、
「こころ」を取り戻そうとしているのではないかと思う。
その中で、ウッドデッキというのは
住宅の中で数少ない「木」との直接的な接点になっている。
マンションのバルコニーであればなおさらのことだ。
バルコニーのデッキスペースは、小さな子どもが座り込んで
遊ぶことのできるもっとも身近な屋外なのである。



変色しにくく、塗り替えの必要がない。
腐らない。
反り、割れ、ささくれがない。
天然木のような優しい手触り。



これはあるサッシメーカーの「木粉入り樹脂」デッキのセールスコピーである。



10年後には多くのデッキが樹脂のデッキになっていることだろう。
それもひとつの時代の流れだと思う。
が、しかし、それでもあえて

「やっぱり木がいい」

と思ってくれる人のために頑張りたいと思うのだが・・・。

店長くり坊コラムより
vol.20  木の家はどこに行った?の巻




最近、中古の足場板が売れている。
でも、足場板としてではなく、「内装仕上げ材」としての用途らしい。



そう、世の中いつのまにか「古材」ブーム。
ブティック、飲食店、ジーンズショップ・・・
気にしてみるとかなりの確率で古材を使っている。
解体した日本の民家の材料だけでなく、わざわざ輸入までして流通させている。
新品よりも値段が高いのだから不思議だ。
どうして「古材」は魅力があるのか?



新品に無くて、「古材」にあるものといえば?
キズ・日焼け・手垢・加工のあと・・・・などなど。
新品であればまさしくクレームの対象となるべきものが、
逆に「付加価値」として評価される。
どうしてそんなものに「価値」があるのかというと、
強引に言い切ってしまえば「アジ」ということなのだろう。
「アジ」とは「味」であるからもともとは味覚のことに違いない。



「味の玉手箱や〜!」(by彦麿呂)なんてギャグもあるが、
味覚くらい奥深く、かつ複雑なものはない。
辛いとか、甘いとか、そういう味の方向性は誰でも言えるが、
本当にうまいものは表現できないものだ。
「うまい!」と叫んで、満面の笑みを浮かべるか、
「まったり」とかいった結局よく分からない表現をするしかない。



「味」とは即ち「深さ」の問題なのである。
右とか左とかではなく、「深さ」だ。



今見ているもの、触れているものは「現在」に違いないが、
その中に刻み込まれた「人間の営み」こそが「アジ」を作り出している。



人間に置き換えてみるとよく分かる。
年を取ればアジが出てくるものではない。
積み重ねた時間の質が問題なのである。



暮らし、人間の営みとの接点にその木はあった。
接点には必ず摩擦が生じ、その摩擦によって形を変えるのは「木」のほうだ。
だから木には人間の営みが刻み込まれる。
何千、何万回という開閉で磨り減った敷居の溝。
子どもが付けた柱のキズ。
角が丸くなった階段の板。
木という素材は常に人のそばにあり、そして人を傷つけない。
人の暮らしとともに少しずつ自分をすり減らしながら時を刻んでいく。
だから「木」はやさしい。
それが「木のこころ」なのである。



昨今の古材ブームは、ある意味で
木の本当の価値を見直すきっかけになるかもしれない。
木がいかにやさしく、身近にあり、
そこに暮らす人たちと同じように呼吸をしながら生きてきたか。



人間はきっと本能的に木のやさしさを知っているのだ。
古びた木を見ながら、そして感じながら、
人は思い出し始める。
自分のそばには常に「木」という素材があったこと。



やっぱり、「木」がいい。
こころから、そう思う。